款冬町(読み)やまぶきちよう

日本歴史地名大系 「款冬町」の解説

款冬町
やまぶきちよう

[現在地名]南区東寺町・八条町の各一部

平安京条坊の左京九条一坊四保九町に位置し、四至を東は櫛笥小路くしげこうじ(現櫛笥通)、西は壬生大路みぶおおじ(現壬生通)、北は八条大路(現八条通)、南ははり小路(現針小路通)で限られる方一町の東寺境内所領。

款冬町は花薗はなぞの町とも称され、山吹町とも記される。地名の由来については、永徳三年(一三八三)二月二一日付検校法務僧正理性院宗助寄進(東寺百合文書、以下同文書については個別文書名のみ記す)に、

<資料は省略されています>

とあるように、弘法大師がこの地を占定し、供仏の花として山吹を植えたことによるものとされるが、真偽は定かでない。

東宝記」に「或記云、平家乱世之比、当寺(東寺)敷地山吹町当寺乾角、為重衡卿住宅之地」とあるように、この地は、保元・平治の乱で勝利を得た平氏が、清和源氏の拠点であった西八条を占拠し、清盛が西八条邸(下京区の→西八条邸跡を建立した時期に、これと接続して、清盛の第五子重衡の邸宅が営まれた場所でもあった。応永五年(一三九八)七月二四日夜における西八条遍照心へんしようしん院の炎上に伴い、当知行所領の安堵要請に際して提出された遍照心院付近の絵図(六孫王神社文書)には、同院敷地に西で接した「西御所跡」「薬師堂跡」とともに「門脇平中納言家跡、号款冬」が描かれており、「東宝記」の記述を裏付けている。

平重衡の邸宅設定が契機となってのことか、款冬町は八条大路の道路敷の一部が耕地化した巷所を含む北寄りの七段と南寄りの四段とに分離して、それぞれ款冬田と称され、方一町内の北と西に位置した家屋は各々北款冬屋敷・西款冬屋敷と称された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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