檜隈安古岡上陵(読み)ひのくまのあこのおかのへりよう

日本歴史地名大系 「檜隈安古岡上陵」の解説

檜隈安古岡上陵
ひのくまのあこのおかのへりよう

[現在地名]明日香村大字栗原字塚穴

高松塚たかまつづか南東約二〇〇メートル、同じ丘陵上にあり、明治一四年(一八八一)文武天皇陵に治定。塚穴つかあなまたはジョウセン山と俗称されたが、治定理由は不明。元禄年間(一六八八―一七〇四)から明治初期にかけては高松塚もしくはおうノ墓(現大字野口の天武・持統檜隈大内陵)を文武天皇陵とする考えが多かった。陵墓の位置する丘陵の麓に安徳あんどくとよばれる小字があり、アンコウとも書かれたこともあった。これを安古岡の転訛とした谷森善臣考証がある。文武天皇は慶雲四年(七〇七)一一月一二日、飛鳥岡で火葬、二〇日に檜隈安古山陵に葬られた(続日本紀)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報