横地城跡(読み)よこじじようあと

日本歴史地名大系 「横地城跡」の解説

横地城跡
よこじじようあと

[現在地名]菊川町東横地 杉ノ谷など

牧之原まきのはら台地西方、菊川支流の牛淵うしぶち川が開析した谷平野の南側に位置する山稜上に占地する室町時代末期の山城跡。ヨコチ城ともいう。東遠江の名族横地氏の城とみなされ、文明七年(一四七五)頃、横地氏の滅亡とともに廃城となったと思われる。史料に乏しく、建武三年(一三三六)九月から一〇月頃、横地氏・勝田氏の軍勢のうち遠江目代右京亮の率いる軍が、横地城や丸崎・気多けた(現春野町)を防備していることが知られるくらいである(同年一〇月日「円阿軍忠状写」・一一月日「某軍忠状写」内田文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報