菊川町(読み)きくがわちよう

日本歴史地名大系 「菊川町」の解説

菊川町
きくがわちよう

面積:六三・八八平方キロ

小笠郡の北部に位置し、北は榛原はいばら金谷かなや町、東は同郡榛原町・相良さがら町、南は小笠町大東だいとう町、西は掛川市。北はあわヵ岳(五三二メートル)、東は牧之原まきのはら台地、西は小笠の連山に囲まれて南に開け、菊川とその支流の諸河川が流れて沖積平野を形成している。遺跡はこの沖積平野を取巻く低丘陵上を中心に分布する。旧石器時代の遺跡としては長者原ちようじやばら遺跡(牛淵)三沢西原みさわにしつぱら遺跡(東横地)があげられるが、長者原遺跡はすでに消滅している。三沢西原遺跡では縄文時代早期―中期、弥生時代後期―古墳時代前期、平安時代の各時代の遺構が調査によって確認されている。縄文時代の遺跡は合計六五ヵ所が確認され、内訳は早期一〇ヵ所・前期二ヵ所・中期一六ヵ所・後期三ヵ所・晩期三ヵ所・時期不詳三一ヵ所で、とくに早期・中期の遺跡数が卓越している。これらの大多数は菊川と上小笠川およびその支流の河岸段丘上に位置している。弥生時代の遺跡は現在までに六六ヵ所が確認されている。内訳は中期六ヵ所・後期二九ヵ所・時期不詳三一ヵ所である。とくに中期の白岩しらいわ遺跡は中期後葉の標式遺跡として知られている。

菊川町
きくがわちよう

面積:八三・八一平方キロ

豊浦郡南方東寄りに位置し、北は豊田とよた町、東は美祢みね市、南は下関市、西は豊浦町に隣接する。四周はおおむね高山丘陵に囲まれ、中央部に小日本こにつぽん平野とよばれる菊川平野が展開する。北境に(七一三・三メートル)、東境にとよヶ岳(三八二・一メートル)猿王さるおう(二八六メートル)西境立石たていし(二〇五・九メートル)勝陣しようじん(三四四・六メートル)、南境に六万坊ろくまんぼう(三九五・二メートル)などがそびえ立つ。

菊川町
きくがわまち

[現在地名]金沢市菊川一―二丁目・城南じようなん二丁目

うめ町の南西に並行し、犀川に沿って南東は中野なかの町に続く。文政六年(一八二三)川上新かわかみしん町から分立した地子町(町奉行より出候町名)。江戸時代末の「増補改正六用集」に「川上菊川町」とある。町名は犀川を古くから菊水川ともいったことからか、あるいは川上芝居の菊川松之助座元にちなんだものか(金沢古蹟志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報