棚原村(読み)たなばるむら

日本歴史地名大系 「棚原村」の解説

棚原村
たなばるむら

[現在地名]西原棚原たなばる徳佐田とくさだ森川もりかわ千原せんばる上原うえはら

翁長うなが村の北東丘陵にあり、北東に杣山、南に耕地が広がる。「おもろさうし」巻一五の四一の浦添うらしー関係のオモロのなかに「一 きこゑ たなはるに(聞こえた棚原に)/なつふよむ わからす(夏も冬もわからず)あまへて しけちちよもりよる(歓んで神酒をぞ盛る)/又 とよむ たなはるに(鳴響む棚原に)/ふよなつも わからす(冬と夏ともわからず)」とある。元和七年(一六二一)三月一六日、浦添王子朝良に恩賞として与えられた浦添うらしー間切三千石のうちに棚原村がある(「尚恭浦添王子朝良知行目録」高嶺家文書)。絵図郷村帳には浦添間切のうちに「たなはる村」とある。琉球国高究帳でも同間切の「たなばる村」は高頭一一三石余、うち田一〇四石余・畠八石余。乾隆二年帳では西原にしばる間切のうちとしてみえる。棚原掟が置かれていた(琉球国由来記)

棚原村
たなばらむら

[現在地名]春日町棚原

村中を竹田たけだ川が流れ東は野上野のこの村。みなみ山根やまねさとの集落がある。康応二年(一三九〇)二月二二日の春日部庄玉泉坊引檀那願文(熊野本宮大社文書)によれば、春日部かすかべ庄内の庄官や住人が紀伊熊野本宮に願文を捧げており、そのなかに「棚原きたやま」と「棚原さこ」(左近)の名がみえる。天正一五年(一五八七)九月吉日の検地帳(部分。波多文書)が残り、表紙に「氷上郡たな原村之帳」とある。寛永一一年(一六三四)亀山藩領となる。正保郷帳によると田高四三六石余・畠高八二石余、芝山あり、日損所。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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