亀山藩(読み)かめやまはん

改訂新版 世界大百科事典 「亀山藩」の意味・わかりやすい解説

亀山藩 (かめやまはん)

丹波国(京都府)桑田亀山に藩庁を置いた譜代中小藩。1579年(天正7)明智光秀が丹波攻略の拠点として,亀山城を築き城下町も建設した。光秀の死後羽柴秀勝,小早川秀秋,前田玄以らが在城したが,1609年(慶長14)岡部長盛が3万2000石で入封したのが藩の始めである。以後6大名が交替し,1749年(寛延2)松平(形原(かたのはら))信岑が丹波篠山より入封して8代ののち明治維新に至った。藩領は桑田・船井郡103ヵ村3万石,氷上郡8000石,備中玉島1万2000石の計5万石であった。戦国時代より土豪の勢力が強かったので幕府が入組支配による統治を考えたためか,亀山藩領内には高槻藩,園部藩篠山藩旗本の知行地が複雑に入り組んでいた。特産物も少なく財政的に困難をきたして藩政改革を行っているが,幕末山陰道鎮撫使西園寺公望が弓箭組の先導無血入城した。石門心学の石田梅岩,医師山脇東洋,画家円山応挙らが藩内よりでている。1869年(明治2)版籍奉還のとき,伊勢国亀山との混同を避けるため亀岡改称し,71年亀岡県を経て京都府に編入
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「亀山藩」の意味・わかりやすい解説

亀山藩
かめやまはん

(1) 江戸時代,丹波国桑田郡亀山地方 (京都府) を領有した藩。慶長 14 (1609) 年以降,岡部氏3万 2000~5万石,松平 (大給) 氏,菅沼氏,松平 (藤井) 氏,久世氏,井上氏,青山氏を経て,寛延1 (1748) 年松平 (形原) 信岑が同国篠山 (ささやま) から5万石で入封,以来8代,信正のとき亀岡藩と改称,廃藩置県にいたる。松平 (杉原) 氏は譜代,江戸城帝鑑間詰。 (2) 江戸時代,伊勢国 (三重県) 鈴鹿郡亀山地方を領有した藩。慶長 15 (1610) 年関氏の転封後,松平 (奥平) 氏5万石,三宅氏1万石,本多氏,石川氏,板倉氏,松平 (大給) 氏,板倉氏各5万石を経て,延享1 (1744) 年石川氏が備中 (岡山) 松山から6万石で再封して以来,廃藩置県まで在封した。石川氏は譜代,江戸城帝鑑間詰。

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デジタル大辞泉プラス 「亀山藩」の解説

亀山藩〔丹波国〕

丹波国、亀山(現:京都府亀岡市)を本拠地とした藩。山陰道の要地に位置することから、代々譜代大名が藩主をつとめた。1869年の版籍奉還の際、亀岡藩と改称した。

亀山藩〔伊勢国〕

伊勢国、亀山(現:三重県亀山市)周辺を領有した藩。伊勢亀山藩とも呼ばれる。歴代藩主は関氏、松平(奥平)氏、板倉氏、石川氏など。

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百科事典マイペディア 「亀山藩」の意味・わかりやすい解説

亀山藩【かめやまはん】

亀山

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