梶屋村(読み)かじやむら

日本歴史地名大系 「梶屋村」の解説

梶屋村
かじやむら

[現在地名]海津町稲山いなやま

柳湊やなぎみなと村の南、揖斐いび川左岸に立地する。慶長郷帳に「かちや村」とあり、高四四石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では近藤政成領。正保郷帳では高須藩領で、田五石余・畑一五石余、野年貢二三石余。元禄郷帳でも同藩領で、梶屋村に並んで同新田一三七石余・同所埋新田二八石余が記され、いずれも同藩領。「新撰美濃志」には梶屋新田・梶屋埋かじやまい新田とあり、村高は同じ。延享元年(一七四四)から明和元年(一七六四)までの租米を書上げた覚(県立歴史資料館蔵)には三ヵ村分の高二一一石余が梶屋村として記されるが、延享元年は五五石余であるものの、翌年から三年間は二石前後、寛延元年(一七四八)をはじめ宝暦年間(一七五一―六四)の四ヵ年と明和元年は水損無取となっている。

梶屋村
かじやむら

[現在地名]豊前市梶屋

清水町しようず村・小犬丸こいぬまる村の南に位置し、東は市丸いちまる村・森久もりひさ村。岩岳いわたけ川と佐井さい川に挟まれた沖積平野に立地する。江戸時代の領主変遷今市いまいち村に同じ。元和八年人畜改帳には西鍛冶屋にしかじや村とみえ給人分、家数二六・人数六五(うち百姓八・名子七)、牛六・馬三。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報