梅本町(読み)うめもとちよう

日本歴史地名大系 「梅本町」の解説

梅本町
うめもとちよう

東山区新門前通大和大路東入三丁目

新門前通鍋屋なべや橋筋より広道ひろみちまでの間。東は広道(現東大路)、西は中之なかの町、北は延宝二年(一六七四)四方洛外町続之町々小名之覚(荻野家文書)に「東町」と載るが、正徳四年(一七一四)洛外町続町数小名家数改帳(同文書)には梅本町とみえ、家数二七軒と記される。また「月堂見聞集」享保一一年(一七二六)の記事「去る二月十六日、被仰渡候京中俳諧点者名前」三一人分の最後に「智恩院新門前梅本町 其諺」がみえる。

菊屋橋は広道が白川に交わる所に架かり、松原町・梅本町の間より北へ石橋町に通ずる橋。宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」に「知恩院門前石橋西詰より南の方に橋有。

梅本町
うめもとちよう

[現在地名]金沢市大手町おおてまち

明治二年(一八六九)前田家(長種系)屋敷(北半部)町立てしたもので、大手町の西部北側に並行する通りに沿う。北は殿との町、東はなか町、西は博労ばくろう町に続く。前田家は加賀藩八家の一つで、寛永一六年(一六三九)頃より当地に屋敷を構えた(金沢古蹟志)。敷地は東西一〇〇間余・南北七〇間ほどで、安政三年(一八五六)侍帳では禄高一万八千石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報