桑名城跡(読み)くわなじようあと

日本歴史地名大系 「桑名城跡」の解説

桑名城跡
くわなじようあと

[現在地名]桑名市吉之丸・三之丸

東および北側は揖斐いび川に沿い、その天然の水を利用して外壁となしている平城である。現桑名市吉之丸よしのまる本丸があり、その周囲に二之丸・三之丸・吉之丸がある。この地には中世末に地侍伊藤武左衛門の居住した東城十念じゆうねん寺があったが、文禄年間(一五九二―九六)一柳直盛が伊勢神戸かんべ(現鈴鹿市)天守閣を移して桑名城を築いた。関ヶ原役の後、慶長六年(一六〇一)本多忠勝入城して、直ちに町割を実施し、三年後に城郭の整備増築を行った。その時に本丸・二之丸・三之丸・新城しんじよう内堀うちぼりなどができた。さらに元和三年(一六一七)城主となった松平(久松)定勝は、翌年に吉之丸を増築、寛永一二年(一六三五)松平(久松)定綱が城主となり、外朝日丸そとあさひまる外堀そとぼり元赤須賀もとあかすか伊賀いが町・八幡はちまん町・新屋敷しんやしきなどができた。

本丸は南北約六〇間、東西約三二間のほぼ長方形、周囲は堀で、高さ約三間の石垣がめぐっている。東北角に天守閣と二重の付櫓がある。承応三年(一六五四)の勢州桑名城中之絵図(内閣文庫蔵)には「天守外ハ四重内ハ六重、下ノ重八間ニ六間、惣高サ石垣置石より棟迄九間五尺六寸」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報