柏島村(読み)かしわじまむら

日本歴史地名大系 「柏島村」の解説

柏島村
かしわじまむら

[現在地名]大月町柏島

大月半島の先端部(渡地区)および一五〇メートルほどの水道を隔てた柏島、さらに南西に浮ぶ蒲葵びろう島を村域とする。柏島は「土佐州郡志」に「東西一里半南北一町半、有港、東西三町南北四町、(中略)其土白砂」とある。この島はもと六人の漁民が住みついたことに始まるといわれるが、天文年間(一五三二―五五)に柏原丹助・村上太郎らが京都(周防国山口とも)から来住してから開けたと伝えられる。蒲葵島は「南路志」に「去柏島二里、在沖島東、遶島半里」とある。柏島との距離は約六キロ、周囲約二キロ。無人島でビロウアコウなどが繁茂し、オオミズナギドリが生息する。

天正一七年(一五八九)の泊橘浦一切天地柏島地検帳によれば、柏島の検地面積三町五反余、屋敷数二八うち居屋敷一七。大半は「御直分」とされる。一反一五代の「村キミトイヤシキ」(上屋敷)があり、「村キミ給」(依岡源兵衛給)となっているほか、「舟蔵場」が二ヵ所あり、多くの水主や船頭居住。また「浜中ノ産ややしき」(四代、当時は「下畠荒」)や堂床二(稲荷宮床・鎮守堂床)、「妙音寺寺中」「古城東二ノ塀」(七代、下畠)、「詰ノタイ」(一〇代、下畠)の記載もあり、「田ノ浦」「古尾」「浦ノ浜アシロ」などのホノギもみえる。

柏島村
かしわじまむら

[現在地名]倉敷市玉島柏島たましまかしわじま玉島柏台たましまかしわだい一―五丁目

玉島新田村の西に位置し、古くは瀬戸内海の島であった。永承元年(一〇四六)の大嘗会に藤原家経が「備中国柏島繋有操柏人」と題し、「ししに生る柏島の青柏いのりわたりて卯月にそとる」と詠んでいる(大嘗会和歌集)。寿永二年(一一八三)の源平合戦が行われた水島みずしま渡は、当島とおと島の間という。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報