柏原別符(読み)かしわばるべつぷ

日本歴史地名大系 「柏原別符」の解説

柏原別符
かしわばるべつぷ

豊前宇佐宮領の庄園。嘉保二年(一〇九五)五月一日の宇佐大宮司下文(宇佐大鏡)によれば、宮崎郡浮田うきた庄の四至内の荒野である柏原牟田を開発して成立した。柏原牟田の四至は「東限寺崎柏原中尾崎、南限高牟田中尾、西限山峯、北限路」と記されている。四至の地名を確認することは困難であるが、現柏原は大淀川本庄ほんじよう川の合流点から下流右岸を流れる大谷おおたに川と金竹かなたけ川に挟まれた地に位置し、柏原の南には浮田の地名がある。この地は西側に山地があり、かつては東側は排水が悪く、その間は湿田地帯を形成していた。牟田は湿地帯をさす語で、柏原の荒野を開発した庄園と推定される。嘉保二年の下文案では紀弘任の開発申請を検田所が許可し、それに従って大宮司が浮田庄司に開発許可を伝えている。本来の起請田は二六丁八反、長承年間(一一三二―三五)目録では二八丁九段三〇代であった。所当例済物として重色米三五石・軽色布三五疋・田率綿一三両一分三朱を負担した(宇佐大鏡)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報