日本歴史地名大系 「松山河岸」の解説
松山河岸
まつやまかし
松山川(現高梁川)の左岸、松山城下の
松山河岸の様子を知ることのできる最も古い史料は松山藩主水谷勝隆時代の正保年中(一六四四―四八)に描かれたと考えられる松山城絵図(国立公文書館蔵)であるが、それによると、川端丁・本町および下町北端の松山川堤防には石垣が積まれ、所々に雁木が設けられて川湊として整備が行われており、本町裏から対岸の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
松山川(現高梁川)の左岸、松山城下の
松山河岸の様子を知ることのできる最も古い史料は松山藩主水谷勝隆時代の正保年中(一六四四―四八)に描かれたと考えられる松山城絵図(国立公文書館蔵)であるが、それによると、川端丁・本町および下町北端の松山川堤防には石垣が積まれ、所々に雁木が設けられて川湊として整備が行われており、本町裏から対岸の
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