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東方政策(読み)とうほうせいさく(その他表記)Ostpolitik

共同通信ニュース用語解説 「東方政策」の解説

東方政策

東西冷戦期、西ドイツブラント首相(在任1969~74年)が進めた共産圏との協調政策。保守政党キリスト教民主同盟(CDU)の党首だったアデナウアー初代首相(同49~63年)は東ドイツと敵対し、存在すら認めなかったが、中道左派、社会民主党(SPD)党首のブラントは米ソのデタント(緊張緩和)の流れに沿って関係を正常化した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東方政策」の意味・わかりやすい解説

東方政策
とうほうせいさく
Ostpolitik

東欧地域との歴史的結びつきを生かし,本格的デタントの土壌をつくった西ドイツの外交政策。社会民主党のブラント,シュミットからキリスト教民主同盟のコール首相へと引継がれた。 1969年9月にブラント=シェール小連立内閣成立後,ソ連,東欧との共存をはかり,70年8月武力不行使と現状承認を内容とする西ドイツ=ソ連条約,同年 12月に西ドイツ=ポーランド条約調印。 72年 12月には東西ドイツ基本条約を締結し,国連に同時加盟した。 73年ブレジネフ書記長の西ドイツ訪問が実現し,また西ドイツ=チェコスロバキア正常化条約に調印した。続くシュミット政権も新冷戦のなかでデタントを求めた。 87年ホーネッカー東ドイツ評議会議長の西ドイツ訪問の実現以降,独ソ関係改善は進み,コール首相は東西ドイツ統合をソ連に承認させた。

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