村雲(読み)むらくも

日本歴史地名大系 「村雲」の解説

村雲
むらくも

村雲の地名は「太平記」巻二六に「一条堀川村雲ノ反橋もどりばしト云所ニ」とあり、南北朝時代にはあった。中昔京師地図によれば東は堀川、西は大宮、北は北小路、南は一条大路いちじようおおじにわたり、現町域では西舟橋町の南・竪門前町・南門前町・富小路町・徳屋町・晴明町・竪神明町横神明町如水町の北・元伊佐町の南・寺今町・毘沙門町・弾正町・薬師町の東・北之御門町の東・石薬師町の東・下石橋町の東・下石橋南半町の北東の地と考えられる。

先述の「太平記」巻二六には、一条戻橋近くに妙吉の侍者が建てた寺(大休寺)があり、僧俗が群集したとある。中昔京師地図は、村雲の南東に「雲寺・森寺」、南西に「細川治部」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報