本阿弥新田(読み)ほんなみしんでん

日本歴史地名大系 「本阿弥新田」の解説

本阿弥新田
ほんなみしんでん

[現在地名]海津町本阿弥新田

梶屋かじや村の南、揖斐いび川左岸に立地、東を中江なかえ川が流れる。本阿弥輪中を形成。慶安年間(一六四八―五二)本阿弥家の佐野紹益らが発起人となって開発。以下佐野文書によって開発の経過などをみる。

開発地は梶屋村・安田やすだ村・深浜ふかはま村の荒所草場、福江ふくえ村の沼草野で、計画では二三〇町歩であった。慶安三年の新開免許状によれば、五ヵ年は草年貢金一〇両の作取り、年季明け検地、石盛は一反一石、向こう四ヵ年は定免四ツ、作取り期間内の堤破損修理は開発主、その後は領主の負担などという条件であった。開発後洪水が続いたため、検地は明暦二年(一六五六)に施行。検地帳によれば高二千三〇〇石余・反別二三〇町歩余で、うち尾張藩家老石河氏分は四六三石余、高須藩領一千八三六石余、高須藩領分の名請人一九人のうちに紹益こと三郎左衛門ほか、本阿弥家の手代の名もみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報