木次村(読み)きつぎむら

日本歴史地名大系 「木次村」の解説

木次村
きつぎむら

[現在地名]千代田町南方みなみかた 木次

堂床どうとこ山の西麓に南方村に囲まれるようにして位置する。北流する出原いでばら川沿いに集落がある。地名は、応永四年(一三九七)六月日付の厳島社領注進状(巻子本厳島文書)に社家進止領家分として「山県郡内木次」とみえる。

慶長六年(一六〇一)検地により高二八五・二八石となる。明知村で、安永元年(一七七二)までの免は上り詰七・四、下り詰三・五、享保一七年(一七三二)の虫害凶作による秋免は一・五、安永二年より定免七・一(国郡志下調書出帳)

木次村
きすきむら

[現在地名]木次町木次

北流する斐伊川右岸、同川に合流する久野くの川流域に広がり、南東の同川上流は寺領じりよう村。両河川の合流点付近に木次町が形成されていた。中世来次きすき庄に属し、近世初期にも来次村と書いたが、のち木次村と記した。正保国絵図に村名がみえる。元禄十年出雲国郷帳では高二千三石余、寛文四年(一六六四)の本田高一千九七六石余・新田高三二石余。「雲陽大数録」では高二五〇石。慶応年中(一八六五―六八)には高二一三石余、木次町を含む家数五四〇・人数二千三三九(木次町誌)。「郡村誌」によると田二四町余・畑一九町余・宅地一〇町余、家数二六・人数一二三、馬二六・牛一〇、荷船(五〇石未満)四、人力車二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

自動車税・軽自動車税

自動車税は自動車(軽自動車税の対象となる軽自動車等および固定資産税の対象となる大型特殊自動車を除く)の所有者に対し都道府県が課する税であり、軽自動車税は軽自動車等(原動機付自転車、軽自動車、小型特殊自...

自動車税・軽自動車税の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android