木村義雄(読み)キムラヨシオ

デジタル大辞泉 「木村義雄」の意味・読み・例文・類語

きむら‐よしお〔‐よしを〕【木村義雄】

[1905~1986]将棋棋士。14世名人東京の生まれ。13世名人関根金次郎入門関根の世襲名人位返上に伴う実力名人戦により昭和12年(1937)第1期名人となり、通算8期にわたって名人位を保持。→15世名人大山康晴

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精選版 日本国語大辞典 「木村義雄」の意味・読み・例文・類語

きむら‐よしお【木村義雄】

将棋棋士。一四世名人。東京都出身。一三世名人関根金次郎に入門。昭和一二年(一九三七)実力名人戦により第一期名人となり、通算八期にわたって名人位を保持。明治三八~昭和六一年(一九〇五‐八六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「木村義雄」の意味・わかりやすい解説

木村義雄
きむらよしお
(1905―1986)

将棋棋士。東京・江東区の生まれ。1916年(大正5)関根金次郎13世名人に入門。20年四段、以後抜群の成績で22歳八段。35年(昭和10)師の関根の世襲名人位開放に伴う実力名人戦で八段中の首位になり、37年第1期名人、以来10年間無敵名人として木村時代を築いた。将棋大成会時代の会長としても棋界統率、隆盛に導いた。第二次世界大戦後の47年(昭和22)に第6期名人戦で塚田正夫八段に敗れて名人位を失ったが、49年の第8期に奪回した。52年第11期名人戦に大山康晴(やすはる)八段に敗れ、現役を退き14世名人を襲位した。60年紫綬褒章(しじゅほうしょう)受章。78年勲三等旭日(きょくじつ)中綬章叙勲を受けた。門下板谷(いたや)四郎、花村元司(もとじ)両九段、北楯修哉(きただてしゅうや)八段ら。

原田泰夫

『木村義雄他監修『木村義雄』(『日本将棋大系 第15巻』1980・筑摩書房)』

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百科事典マイペディア 「木村義雄」の意味・わかりやすい解説

木村義雄【きむらよしお】

将棋棋士。東京生れ。関根金次郎門下。1938年2月,選手権制による初の名人となり,1947年塚田正夫に敗れるまで5期にわたって名人位を保持,その後再び第8〜10期名人となる。1952年大山康晴に敗れて,現役引退し,第14世名人となった。公式対局は1500余に及ぶ。
→関連項目升田幸三

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「木村義雄」の意味・わかりやすい解説

木村義雄
きむらよしお

[生]1905.2.21. 東京
[没]1986.11.17. 東京
将棋棋士。 14世名人。関根金次郎 13世名人門下。 1926年8段に昇進。 37年実力名人制の第1期名人の座につく。以来 10年間,常勝無敵名人として君臨した。第2次世界大戦後 47年塚田正夫8段の挑戦に敗れて名人位を一時失ったが,49年に奪還,52年大山康晴8段 (のちの 15世名人) に敗れ,現役を退いた。 60年紫綬褒章受章。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木村義雄」の解説

木村義雄 きむら-よしお

1905-1986 大正-昭和時代の将棋棋士。
明治38年2月21日生まれ。大正5年関根金次郎に入門し,15年8段。昭和13年短期実力名人制の第1期名人となり,以後5期連続をふくむ通算8期名人位を保持。27年に引退して14世名人位をおくられた。昭和61年11月17日死去。81歳。東京出身。慶応普通部中退。著作に「将棋大観」など。

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世界大百科事典(旧版)内の木村義雄の言及

【将棋】より

…1919年のラジオによる対局放送と,29年からの東京中央放送局の〈ラジオ将棋速成講座〉開始も将棋の普及に大いに役だった。実力名人位決定戦は多数の愛好者の注目のうちに木村義雄が優勝し,38年初代の実力名人誕生となった。以後木村が優勝を続け,第2次大戦が終わった直後まで名人の座にあった。…

※「木村義雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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