大山康晴(読み)オオヤマヤスハル

デジタル大辞泉 「大山康晴」の意味・読み・例文・類語

おおやま‐やすはる〔おほやま‐〕【大山康晴】

[1923~1992]将棋棋士。15世名人岡山の生まれ。昭和27年(1952)木村義雄名人を破って名人となり、以後、名人王将十段棋聖などのタイトル長期にわたって保持した。永世名人永世王位永世王将永世棋聖・永世十段。→16世名人中原誠

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大山康晴」の意味・わかりやすい解説

大山康晴
おおやまやすはる

[生]1923.3.13. 岡山,西阿知
[没]1992.7.26. 千葉,柏
将棋棋士。15世永世名人。木見金次郎 9段門下。1948年 8段に昇進。1952年木村義雄を破り 29歳で名人。1956年永世名人の資格を得,1958年 9段,1965年永世棋聖,1973年永世王将の称号を与えられた。生涯成績 1433勝 781敗。獲得したタイトル数は通算 80期で,2012年に羽生善治が通算 81期となる棋聖位を獲得するまで,歴代最多タイトル獲得の記録を保持した。1970年倉敷市名誉市民。1976年現役のまま 15世永世名人を襲位。日本将棋連盟会長も務めた。1990年将棋界で初めて文化功労者に選ばれた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大山康晴」の意味・わかりやすい解説

大山康晴
おおやまやすはる
(1923―1992)

将棋15世名人。岡山県倉敷市の生まれ。1935年(昭和10)木見(きみ)金治郎九段に入門。順調に昇段し48年に八段。52年、当時の木村義雄(よしお)名人を破り29歳で名人になる。56年、永世名人の資格を得、76年、現役のまま15世名人を襲位。公式タイトル獲得は名人位18期、王将位20期、十段8期、王位12期、棋聖位16期など優勝122回の大記録を樹立した。優れた棋才、無類の粘りは有名である。日本将棋連盟会長として東京、大阪の将棋会館建設に尽力した。

原田泰夫

『『現代将棋名局集1 大山康晴名局集』(1980・筑摩書房)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大山康晴」の解説

大山康晴 おおやま-やすはる

1923-1992 昭和-平成時代の将棋棋士。
大正12年3月13日生まれ。昭和10年木見金治郎に入門。23年8段。27年第11期名人戦で木村義雄をやぶり名人位につき,通算18期保持。51年15世名人。兄弟子の「攻めの升田(幸三)」に対し,「受けの大山」といわれた。タイトル獲得80回,優勝124回。日本将棋連盟会長。平成2年文化功労者。平成4年7月26日死去。69歳。岡山県出身。著作に「勝負五十年」など。
格言など】どんなことでも努力すれば,必ず報われると信じている(座右銘)

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百科事典マイペディア 「大山康晴」の意味・わかりやすい解説

大山康晴【おおやまやすはる】

将棋第15世名人。倉敷市生れ。木見金治郎に師事。1952年木村義雄を破り名人位を獲得,第15期まで保持した。さらに第18〜30期まで名人位にあったが,1972年第31期中原誠8段に敗れた。王将,十段,王位,棋聖などのタイトル戦に勝つこと多く,1973年永世王将。1990年文化功労者。
→関連項目升田幸三

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