朝鮮式山城(読み)ちょうせんしきやまじろ

百科事典マイペディア 「朝鮮式山城」の意味・わかりやすい解説

朝鮮式山城【ちょうせんしきやまじろ】

663年の白村江(はくそんこう)の敗戦後,朝鮮からの来襲をおそれた日本政権が国土防衛のため築造した山城北九州から瀬戸内海沿岸の重要地点に,亡命百済人の指導で朝鮮様式に築かれた。筑紫大野城・基肄(きい)城,対馬島金田城讃岐国屋島城・大和国高安城などがある。多くは標高300〜400mの急峻な地形にある。稜線に沿って石塁または土塁を築き,城内に倉庫群があり,谷間渓流が流れるか泉があるのが特徴。なお北九州・瀬戸内地方に分布し,宗教施設と考えられてきた神籠石(こうごいし)は,近年の発掘調査によって古代の山城遺構であることが確定的となった。
→関連項目大野城グスク山城

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「朝鮮式山城」の解説

朝鮮式山城
ちょうせんしきさんじょう

天智朝以後,朝鮮の山城築造技術の影響をうけて,西日本各地に造られた山城をさす。代表的なものは福岡県大野城,福岡・佐賀両県にまたがる基肄(きい)城,長崎県金田(かねた)城,熊本県鞠智(きくち)城,香川県城山(きやま)遺跡,大阪・奈良両府県にまたがる高安(たかやす)城など。築造には,朝鮮半島からの渡来人が参画していたが,山城の立地縄張り,城壁の構築法,水門の構造,城門施設などは各山城の間で一様ではない。その多くは文献の記載と一致するが,城山遺跡のように文献に記載されていないものもある。また早くに廃城になったもの,後世にまで長く使用されたものなどもある。長門城などのように所在不明の山城もある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「朝鮮式山城」の意味・わかりやすい解説

朝鮮式山城
ちょうせんしきさんじょう

いくつかの谷を取込むように,山の峰や斜面に石塁または土塁を築きめぐらした山城をいい,特に朝鮮の三国時代に発達したことからこの名がある。古代日本においても,朝鮮の山城築造の技術を取入れ,天智4 (665) 年築造の大野城,椽城をはじめ,西日本の各地に造られた。神籠石 (こうごいし) も朝鮮式山城の一変形である。

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世界大百科事典(旧版)内の朝鮮式山城の言及

【大野城】より

…福岡県太宰府市と粕屋郡宇美町にまたがる通称四王寺山にある古代の朝鮮式山城。7世紀代における朝鮮半島の軍事的緊張のなかで,660年の百済滅亡と,それに続く663年の白村江における日本援軍の敗戦を背景として築造された。…

【山城】より

…古代の山城は大陸,とくに朝鮮半島の築城法の影響によるものが多く,三方を山に囲まれた谷を含めた縄張をもち,稜線またはその外側に鉢巻状に城塁を築き,谷の出口に城門や水門を築く。これを朝鮮式山城と呼びならわしてきたが,その内容は一様ではない。大きくは,百済滅亡後,新羅・唐連合軍の進攻にそなえて660年代に築かれた大野城から高安(たかやす)城にいたる一連の城(いわゆる天智築城の城)と,それ以前の築城と考えられる神籠石(こうごいし)とに分けられる。…

【朝鮮】より

…侵略に対抗する地域住民の活動を端的に示すものに朝鮮の集落構造,都市計画としての居城と山城(さんじよう)との組合せがある。例えば高句麗は,《三国史記》によれば,西暦3年に王都を国内(中国吉林省集安)に移し,尉那巌城を築いたとあるが,この尉那巌城は典型的な朝鮮式山城で,平地にある王都国内城には王宮,官庁,王都民の住居などがあり,日常生活は国内城で営まれていた。しかし,高句麗は遼東・楽浪両郡をはじめ夫余国などと対立していたので,異民族の侵入にあたって,国王,軍隊のみならず王都民を避難させる場所として,王都の背後の山岳に尉那巌城を築いたのである。…

※「朝鮮式山城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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