神籠石(読み)コウゴイシ

デジタル大辞泉 「神籠石」の意味・読み・例文・類語

こうご‐いし〔かうご‐〕【神籠石】

広い範囲を、切り石を築いた石垣で区画した山城の古代遺跡。北部九州地方に多い。朝鮮半島の古代山城の遺跡に似る。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「神籠石」の意味・わかりやすい解説

神籠石
こうごいし

古代の列石遺構。その名称は福岡県久留米(くるめ)市高良山(こうらさん)の中腹付近に、全山の約3分の1を取り巻くように長方形切石(きりいし)列が巡ることからおこり、のち類似の遺構をも称することになった。明治・大正のころは「こうごせき」ともよばれ、山の中腹に式内社高良大社があることから、列石で神域を画定したとなす聖域説と、古代城塞(じょうさい)説とが対立し学界をにぎわせたが、いまでは城塞の一種とみられている。また一説では、列石の形が皮籠(かわご)に似ていることから、神籠に擬したともいう。

 佐賀県武雄(たけお)市おつぼ山(やま)では、低い丘(標高66メートル)の中腹や丘裾(すそ)を巡って、密に接した切石列石を2、3段に積み、その上部に土塁を築く。それらの前面にはほぼ等間隔に柱穴列や礎石列の並ぶものがある。丘の鞍部(あんぶ)には内側と外側に列石を並べ、上部には版築(はんちく)による土塁を築く。谷口には石垣列と暗渠(あんきょ)水門を設け、全体に7~8世紀の朝鮮式古代山城(やまじろ)に似る。

 神籠石は、現在、前記2か所をはじめ、佐賀県帯隈山(おぶくまやま)、福岡県の女山(ぞやま)、把木(はき)、雷山(らいざん)、御所ヶ谷(ごしょがたに)、鹿毛馬(かげのま)、山口県石城山(いわきさん)、愛媛県永尾山(えいおやま)、岡山県の鬼城(きのじょう)、大廻小廻山(おおめぐりこめぐりやま)のほかに、類似した構造をもつ香川県城山(きやま)を含めると13か所が知られている。これらの築造目的は文献記録にもなく年代も明らかでない。一説には朝鮮式古代山城に先行する6世紀代の城塞説や、7世紀または8世紀の城塞説などまちまちで、いまだに定説をみない。

[乙益重隆]


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改訂新版 世界大百科事典 「神籠石」の意味・わかりやすい解説

神籠石 (こうごいし)

福岡県久留米市高良大社をめぐる切石列石を古く神籠石と呼んでおり,九州から瀬戸内一帯にみられる山をめぐる列石遺跡をこの名で呼ぶようになった。高良大社のそれから神域を示す施設との説もあったが,近年の調査で列石の上部には版築の城壁が築かれていることがわかり,古代山城施設であることが明らかとなった。列石列が,高い所では山頂を取り巻くように,山脚の近くではいくつかの小さな谷を取り込んで斜面に斜めに築かれる九州型と,列石列が山頂を鉢巻状にめぐる瀬戸内型がみられる。いずれも小さな谷を通る列石線には水門を築いて谷の水を排出しており,その横に城門を設けた例も二,三にとどまらない。その造営時期については諸説がある。九州型の最大のものが高良山(こうらさん)と女山(ぞやま)で,この2者を底辺にして二等辺三角形を描くと頂点に6世紀に大和朝廷に滅ぼされた磐井(いわい)の墓と伝える岩戸山古墳があり,これを中心として北方に中型の遺跡が杷木(はき),帯隈(おぶくま)山,おつぼ山と並び,さらに外郭に御所ヶ谷,鹿毛馬(かげのま),雷山と並ぶ3線の防御陣地を磐井がつくり,これを攻撃する大和勢が山口県石城山という瀬戸内型をつくったとする6世紀前半説,聖徳太子新羅遠征準備時のものとする7世紀説,吉備平野の鬼ノ城を吉備反乱に結びつける5世紀説,吉備大宰が設置したとする7世紀後半説などがあるが,大宰府防備のための大野城基肄(きい)城よりは築城方式が古く,7世紀中葉以前のものであることは疑いない。
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百科事典マイペディア 「神籠石」の意味・わかりやすい解説

神籠石【こうごいし】

神護石とも書く。古代の山城。福岡・佐賀・山口・岡山・香川に13ヵ所分布する。福岡県久留米市御井町の高良山山腹の列石が山頂の式内社をとり囲んでいることからこの名がある。山の尾根や斜面に数kmにもわたり列石や土塁を築き,門を設ける。朝鮮式山城(ちょうせんしきやまじろ)と密接な関係があると考えられ,時代も同じ6世紀後半―7世紀ごろと推定される。
→関連項目高良大社佐賀[市]山城瀬高[町]朝鮮式山城前原[市]大和[町]行橋[市]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「神籠石」の解説

神籠石
こうごいし

1898年(明治31)小林庄次郎が福岡県久留米市の高良山(こうらさん)にある巨石列を「神籠石」として報告したのが最初。福岡県女山(ぞやま)や山口県石城山(いわきさん)など類似例が発表され,その性格をめぐって,城郭説と霊域説とが激しく対立して神籠石論争をうんだが,朝鮮の山城と技術的に関連した山城であることは確実。西日本に分布し,現在9カ所が確認される(岡山県大廻(おおめぐり)・小廻(こめぐり)山,愛媛県永納山の類似遺構は含めない)。構造は,大きな切石を隙間なく連ねた列石を根固め石とする土塁と水門・門などからなり,9カ所とも築造方法は基本的には同じ。7世紀代に,大和朝廷によって交通上の要衝や政治的に重要な地点の近くに構築された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「神籠石」の意味・わかりやすい解説

神籠石
こうごいし

西日本にある古代の山城の一種。現在 12ヵ所に発見されている。すべて,山腹や尾根よりやや下ったところに,長さ 1m内外の切り石を密接して並べ,その上に版築の土塁を築いて城壁としている。通常数ヵ所の谷を取込んでいるが,その谷の部分は石塁とし,通水口や,城門の施設を設ける。その築造は7世紀頃といわれ,外敵の侵入に対抗するためのものとされている。

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旺文社日本史事典 三訂版 「神籠石」の解説

神籠石
こうごいし

山の峰を取り巻くように数 ㎞ にわたって方形の切石を配列した,古代の特殊遺構
福岡県・佐賀県・山口県に9か所その存在が知られている。霊域説もあるが,山城説が有力。築造年代は技術上から横穴式石室がつくられたころ(7世紀ころ)と推定される。

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世界大百科事典(旧版)内の神籠石の言及

【磐座・磐境】より

…磐境は,例えば奈良県三輪山,兵庫県保倉神社のように磐石に囲まれた自然の磐境,また要所に巨石をたてて磐境とする例がある。従前,論争を呼んだ九州を中心とする神籠石(こうごいし)は,磐境と関連するものではなく,古代山城の遺構である。【水野 正好】。…

【山城】より

…これを朝鮮式山城と呼びならわしてきたが,その内容は一様ではない。大きくは,百済滅亡後,新羅・唐連合軍の進攻にそなえて660年代に築かれた大野城から高安(たかやす)城にいたる一連の城(いわゆる天智築城の城)と,それ以前の築城と考えられる神籠石(こうごいし)とに分けられる。天智の築城は,百済の遺臣の指導により,防御正面に急峻な地形をとり,背後に谷の出口をもつ大規模なもので,城内に多数の兵舎や倉庫群をもっている。…

【大和[町]】より

…石城山の山頂近くに鎮座する石城神社は式内社で,本殿は重要文化財。八合目付近を中心に2500m余にわたる列石遺跡(神籠石(こうごいし))があり,古代山城の施設とみられ,石城山神籠石として国の史跡に指定されている。近くには奇兵隊の屯営跡地もある。…

※「神籠石」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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