朝霞市(読み)アサカシ

デジタル大辞泉 「朝霞市」の意味・読み・例文・類語

あさか‐し【朝霞市】

朝霞

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日本歴史地名大系 「朝霞市」の解説

朝霞市
あさかし

面積:一八・三八平方キロ

県南部東寄りに位置し、武蔵野台地東縁部を占める。東は荒川を隔て戸田市、南東は越戸こえど川を境に和光市、北西は志木市、西は新座にいざ市に囲まれる。南部をほぼ東西に川越街道が走る。南西から北東へ流れる黒目くろめ川は市域ほぼ中央で流れを南東に転じたのち東端で新河岸川に合流する。北部は荒川とその南側を流れる新河岸川によって形成された低湿地帯で、黒目川沿いにも低地が広がる。この低地には水田があるが、他の台地上にあたる地域は畑作地帯となっている。現在は旧川越街道南側を国道二五四号が走り、南東から北西へ東武東上線、北部を北東から南西へJR武蔵野線が通っている。

〔原始・古代〕

市域では旧石器時代の遺跡が二二ヵ所発見されている。このうち黒目川右岸台地上の膝折宿ひざおりしゆく遺跡からはナイフ形石器・削器などを含む約八〇点の石器が出土。同川左岸の泉水山せんずいやま遺跡・しもはら遺跡は市最大の旧石器時代の遺跡群である。この遺跡群には礫群を伴った多くの石器集中地点が発見され、ナイフ形石器・角錐状石器を中心に、掻器・削器・石錐など各種の石器が多量に出土している。なおナイフ形石器のなかに国府型とよばれる瀬戸内技法で製作された石器が含まれている。縄文時代の遺跡は、前期末の諸磯式土器を伴う岡の城山おかのしろやま貝塚が荒川流域右岸の谷に面して形成されているものの、黒目川左岸の台地縁に展開された泉水山遺跡に代表される。この遺跡では中期の勝坂式土器から加曾利E式土器の終末まで集落が営まれていたことが確認されている。土器は多摩丘陵や武蔵野台地で作られた連弧文を付したものが多く、関東地方西部地域の色彩が強いことが指摘されている。弥生時代の集落は武蔵野台地先端の舌状台地の一つに立地する台の城山だいのしろやま遺跡があり、弥生時代中期の宮ノ台式土器と太形蛤刃石斧・扁平片刃石斧・磨石などが発掘されている。また新河岸川と黒目川に挟まれた宮戸みやどハケタ遺跡では宮ノ台式土器を出土した方形周溝墓二基が発掘されており、この遺跡は古墳時代の集落遺跡でもある。泉水山遺跡では弥生時代後期の弥生町式土器・前野町式土器を出土した竪穴住居跡二四、古墳時代前期の竪穴住居跡二七が発掘されている。

古墳は黒目川の左岸に八塚やつか古墳・長塚ながつか古墳・峡山はけやま古墳などで構成された内間木うちまぎ古墳群、同川右岸に柊塚ひいらぎづか古墳・一夜塚いちやづか古墳・狐塚きつねづか古墳、男塚おとこづか女塚おんなづか古墳などで構成された根岸ねぎし古墳群がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「朝霞市」の意味・わかりやすい解説

朝霞〔市〕
あさか

埼玉県南東部,武蔵野台地の北東部にある市。 1955年朝霞町と内間木 (うちまぎ) 村が合体し,67年市制。中心市街地の一部を占める膝折は,かつての川越街道宿場町。江戸末期から水車を利用して伸銅業が行われている。第2次世界大戦中は南部に陸軍士官学校がおかれ,現在は自衛隊の基地。市域には金属,機械などの工場や,研究所が多く,住宅の進出も著しい。市域を南北に東武東上線,東西に JR武蔵野線が通り,北朝霞駅で交差するなど交通網の整備で東京のベッドタウン化が進んでいる。北部には荒川の水を浄水する朝霞浄水場,中部には東洋大学がある。面積 18.34km2。人口 14万1083(2020)。

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