月潟村(読み)つきがたむら

日本歴史地名大系 「月潟村」の解説

月潟村
つきがたむら

[現在地名]月潟村月潟

なかくち川左岸に沿って立地し、町場のような街村を呈する。西萱場にしかやば村の南に連なる。永禄年間(一五五八―七〇)阿部忠昭が郎党を率いて信濃国を経て来越、荒蕪の地を開き、湖水に月の映ずるを引用して月潟と命名したという(阿部家系図前書)。寛永一三年(一六三六)の新潟与亥御成ケ本帳(菊屋文書)に前年に一二二石七斗余の年貢米を上納とみえ、同一八年の新潟与巳割付本帳(同文書)には高一九八石五斗余、うち四七石二斗余は枯引、残り一五一石三斗余のうち本途一二三石九斗余・免六ツ八分・取米八四石二斗余、新田二四石・免三ツ八分・取米四石四斗、野手三石・免五ツ・取米一石五斗を合せ取米合計九〇石余とある。

月潟村
つきがたむら

面積:九・四一平方キロ

西蒲原郡の東部、信濃川沿いのなかくち川西岸の沖積地上にある。対岸白根しろね市、南・西は中之口なかのくち村、北は潟東かたひがし味方あじかた両村。北流する中ノ口川に沿って新潟交通電鉄線が走り、月潟・まがりの二駅がある。地形は起伏なく、耕地のほとんどは水田単作で、低湿湛水に悩まされてきた。中ノ口川自然堤防上では果樹栽培が行われ、梨・桃・葡萄が中心。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報