最上稲荷(読み)さいじよういなり

日本歴史地名大系 「最上稲荷」の解説

最上稲荷
さいじよういなり

[現在地名]岡山市高松稲荷

龍王りゆうおう山南麓に位置し、山上に奥院がある。一体関係にある妙教みようきよう寺は報恩大師の創建と伝え(寛保元年「縁起」寺蔵)、同山中に練行の場を伝える。天台宗で龍王山神宮寺と号していたが、天正一〇年(一五八二)高松たかまつ城水攻めの際、羽柴秀吉側が布陣して荒れたと思われる。その後この地に入った花房氏の日蓮宗信仰とその強制が広がるなか、慶長六年(一六〇一)日円が日蓮宗の稲荷山妙教寺として復興したという。池上本門寺一四世貫主日詔が日円に与えた慶長八年の曼荼羅本尊(寺蔵)、同一六世日樹が日円に宛てた寛永三年(一六二六)と推定される手紙(寺蔵)はこの頃の動きの一端を伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報