曰理駅(読み)わたりのえき

日本歴史地名大系 「曰理駅」の解説

曰理駅
わたりのえき

「延喜式」兵部省所載の上代の東山道の駅で「曰理」とあり、伝馬数一〇匹を記す。

千曲川畔に設けられた駅である。「小県郡史」では、現在の上田市西部、諏訪部すわべ集落近くと推定し、江戸時代まで上田城下塩田しおだ川西かわにし地方が「諏訪部の渡し」で往来していたことをあげ、また諏訪部に小字古屋敷ふるやしき地名のあるのに応じ、対岸中之条なかのじようにも古屋敷の地字のあることをあげているが、妥当であろう。

近年、諏訪部集落の西に続く小字唐臼からうすから、大石の中央に直径四〇センチ、深さ二〇センチほどの穴をもった塔心礎(塔の中心となる礎石)が発見され、その近くから、昭和四八年(一九七三)には瓦塔片(瓦でつくった塔のかけら)も発見されていることから、東山道の渡河地点に、布施屋的性格をもった寺院があったことが推定されるに至った。

曰理駅
わたりのえき

古代東山道の支路にある駅。「延喜式」兵部省「諸国駅伝馬」の項に「麻続・曰理・多古・沼辺、各五疋」と記す。東山道の錦織にしごり駅(現東筑摩ひがしちくま四賀しが村)から分れ、麻績おみ(現東筑摩郡麻績村)を経て曰理駅でさい川を渡り、多古たご駅(現長野市三才さんさいから田子たご周辺)から越後国に至る道筋にあり、犀川の渡津として設置されたものと思われる。所在地は、渡津地点が更級郡内と水内郡との境をなす犀川にあったことは、多くの所論の一致するところであるが、その具体的な位置の比定には諸説がある。

曰理駅
わたりのえき

和名抄」高山寺本北陸駅条や「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条にみえる古代北陸道の駅名射水いみず郡内に位置し、駅馬五疋を配置された。「曰理」の読みは、「和名抄」東急本が陸奥国郡条の「曰理」の訓を「和多里」とするので、これに従う。「延喜式」主税寮諸国運漕雑物功賃条にみえる越中国海路では「自曰理湊漕敦賀津、船賃、石別二束二把、挟杪七十束、水手三十束」とある。なお「曰理」の表記は「延喜式」刊本に越中国「亘理」湊とみえるので、曰と亘が混用された可能性がある。「和多里」は「済」「渡」を意味するところから、駅家と湊の両機能を合せもつ場所が立地条件としてふさわしい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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