日本大百科全書(ニッポニカ) 「明野(茨城県)」の意味・わかりやすい解説
明野(茨城県)
あけの
茨城県西部、真壁郡(まかべぐん)にあった旧町名(明野町(まち))。現在は筑西市(ちくせいし)の南東を占める地域。1954年(昭和29)町制施行の大村町と上野、鳥羽(とば)、村田の3村が同年合併して改称。2005年(平成17)、下館市(しもだてし)、真壁(まかべ)郡関城町(せきじょうまち)、協和町(きょうわまち)と合併、筑西市となった。旧町名は「希望の夜明けと広い平野」の意味から明野とした。小貝(こかい)川と桜川に挟まれ、筑波(つくば)台地の北部に位置する。承平(じょうへい)の乱(935)で平将門(まさかど)と争った平国香(くにか)の居館跡がある。また、松島の瑞厳(ずいがん)寺を中興した法身禅師は、猫島(ねこしま)の出身。旧町域の中心集落は海老ヶ島(えびがしま)。農業が主で陸田の米作が多く、トマト・キュウリなどの野菜やイチゴ、ソバの栽培、畜産も行われる。
[櫻井明俊]
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