明林寺(読み)みようりんじ

日本歴史地名大系 「明林寺」の解説

明林寺
みようりんじ

[現在地名]美東町大字綾木 九瀬原

月松山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。

寺伝によれば初代林藤内左衛門常明は大内氏の一族で、延徳元年(一四八九)仏門帰依して正了と称し、一宇を建立したが、寺号もなく法体のまま士名を称した。第三代林仁右衛門慶真(法名心了)の時、本願寺より寺号を受け、慶長一八年(一六一三)正式に真宗寺院となったという。仁右衛門の妻は毛利輝元の臣児玉三郎右衛門元良の娘で、その妹は野上のがみ(徳山)の城主杉小次郎の妻であったが、のち輝元の側室となり、広島城二の丸に住み、二の丸様とよばれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報