綾木村(読み)あやぎむら

日本歴史地名大系 「綾木村」の解説

綾木村
あやぎむら

[現在地名]美東町大字綾木

南流する大田おおだ川に沿い、大田村の南にある。平地本郷と、東の西鳳翩にしほうべん(七四一・九メートル)山麓高所に位置する山里の部分からなり、南は真名まな長田ながた両村、東は大垰おおたおを境に周防国吉敷よしき郡に続く。大田村に続く北方を除き、三方を山に囲まれ、とくに東方の西鳳翩山吉敷郡阿武あぶ郡・美祢郡の境界をなし、まる岳・つづみヶ岳などの高山が連なる。村内を東西に肥中ひじゆう街道が、南北に船木ふなき街道が通る。

明応五年(一四九六)四月一五日付の山口善福寺文書(「寺社証文」所収)に「長門国美祢郡綾木郷内次郎丸名弐拾壱石参斗余地内藤肥後守弘矩跡事」とあり、綾木郷内の次郎丸なる名田を長門守護代内藤肥後守から山口の善福ぜんぷく寺に寄進したことが知られる。同じく弘治三年(一五五七)八月五日付の文書に綾木村とみえ、善福寺領が一〇石あった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報