明方村(読み)みようがたむら

日本歴史地名大系 「明方村」の解説

明方村
みようがたむら

面積:一五七・四一平方キロ

長良川水系の吉田よしだ川と木曾川水系の弓掛ゆがけ川流域からなる。東は益田ました馬瀬まぜ村、南は八幡はちまん町・和良わら村および益田金山かなやま町、西は白鳥しろとり町と大和やまと町、北は大野郡荘川しようかわ村・清見きよみ村と接する。大部分は急峻な山岳地帯で、総面積の約九四パーセントが山林。吉田川沿いの旧街道には、現在坂本さかもとトンネルが設けられ、一部有料道路を含めて整備されている。戦国期より銀・銅・鉛の鉱山開発が行われ、佐藤氏・畑佐氏などの在地土豪も育った。中世には八幡と和良畑佐はたさ峠を経由して結ばれていたが、東胤頼(号素明)が八幡の赤谷山あかだにやま城に、遠藤清右衛門(号善明)が和良にいてそれぞれ勢力を誇ったので、素明・善明の住む方角みようの方と称し、それが地名になったという(郡上郡史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報