昆布森村(読み)こんぶもりむら

日本歴史地名大系 「昆布森村」の解説

昆布森村
こんぶもりむら

[現在地名]釧路郡釧路町昆布森・大字昆布森村

明治五年(一八七二)頃から大正八年(一九一九)まで存続した村。現釧路町の西部にあり、南部は海に臨む。東は跡永賀あとえが村、西は桂恋かつらこい(現釧路市)。明治三年釧路漁場持米屋佐野孫右衛門が肥前佐賀藩の諭告により当地への五四戸・一九三人など三ヵ所に合せて移民一七四戸・六三七人(秋田・青森両県、渡島地方、函館など)を移住させた(「事業報告」第二編)。同年の当地への移住戸口は四一戸・一二二人ともいう(同一七年「釧路郡移住人民調」御子柴文書)。同四年から同五年にかけての永住人江諸品貸付代金調帳(新釧路市史)に昆布森番家掛分として三五名が記される。同六年の「釧路国地誌提要」に昆布森村とみえ、アイヌの戸口は一戸・二人、寄留は四七戸・一七〇人(うち男一〇四人)。「北海道巡廻日記」では昆布森に「止宿ス、此処ハ昆布ノ番屋アリ、居住民家モ七八軒アリ」と記される(同年一一月二日条)

昆布森村
こんぶもりむら

大正八年(一九一九)から昭和三〇年(一九五五)まで存続した村。大正八年四月二級町村制施行。同一〇年釧路郡漁業組合から釧路地区などが分離、第二次釧路郡漁業組合が設立される。大正末期から又飯時またいとき地区では沖合漁業漁船の動力化が行われた。昭和一〇年代に自営漁民により定置網漁業が始められた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報