日新寺跡(読み)じつしんじあと

日本歴史地名大系 「日新寺跡」の解説

日新寺跡
じつしんじあと

[現在地名]加世田武田

島津忠良(日新)が再興したと伝える曹洞宗の寺院。跡地は別府べつぷ城跡の南西、現在加世田川西岸に鎮座する竹田たけだ神社境内にあたる。初め薩州家島津国久が開基となって建立し(寺号保泉寺)開山は泰翁宥仙(一世住持、文明一二年七月二八日死去)、曹洞宗皇徳こうとく(現鹿児島市)末寺であった(三国名勝図会)。島津国久は忠国の子として生れたが、忠国の弟で薩州家の祖となった用久の養子となり、明応七年(一四九八)七月二八日に死去、法号を桂林国久とし、保泉寺と号している(薩州用久系図)。天文二三年(一五五四)二月二日の島津日新寄進状(島津忠良系図)によると、加世田庄内の「大浦名 長田之門」が保泉寺住持の盤忠に寄進されている。永禄七年(一五六四)島津忠良が再興して菩提寺としたと伝えられ、曹洞宗田布施常珠たぶせじようじゆ(現金峰町)末となった。同一一年一二月一三日に忠良が死去した後、七世住持梅安が寺号を日新寺と改めた。龍護山と号し、本尊釈迦如来(以上「三国名勝図会」など)。元亀二年(一五七一)三月吉日の加世田日新寺鐘銘写(島津忠良系図)には、薩陽龍護山大檀那として「薩隅日三州太守藤氏嶋津梅岳常潤在家菩薩」の名がみえるが、梅岳常潤は忠良の法名である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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