新家孝正(読み)にいのみ・たかまさ

朝日日本歴史人物事典 「新家孝正」の解説

新家孝正

没年:大正11.11.24(1922)
生年:安政4.6.29(1857.8.18)
明治大正期の建築家江戸生まれ。明治15(1882)年工部大学校造家学科(東大建築学科)卒業。皇居御造営事務局で宮内省庁舎の設計に従事したあと逓信省を経て,20年日本土木会社(大成建設)に入社する。時代の水準を超えたデザイン力と新技術に取り組む進取気象を併せ持ち,華族女学校,農商務省庁舎,日本パノラマ館など注目すべき建物を次々と生んでいった。26年に独立し,官庁・企業の嘱託を歴任して多くの建築の設計監理にたずさわる。後半生の主要な業績には学習院,山県有朋別邸無鄰菴,京都大丸,日本美術協会会館などがある。ほかに博覧会施設を多数手がけている。

(石田潤一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「新家孝正」の解説

新家孝正 にいのみ-たかまさ

1857-1922 明治-大正時代の建築家。
安政4年6月29日生まれ。明治20年日本土木(現大成建設)に入社,華族女学校,農商務省庁舎などを手がける。のち独立し,京都大丸,日本美術協会会館などの設計,工事にかかわった。大正11年11月24日死去。66歳。江戸出身。工部大学校卒。

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