新大滝村(読み)しんおおたきむら

日本歴史地名大系 「新大滝村」の解説

新大滝村
しんおおたきむら

[現在地名]大滝村大滝

荒川の支流中津なかつ川および大血おおち川の流域に開けた村で、古大滝ふるおおたき村の北から東を占める。集落は二河川の流域に散在し、耕地などは一部古大滝村と錯綜する。中津川は蛇行しながら東方へ流れ地内落合おちあいで、また地内大日向おおひなた水源として北流する大血川は古大滝村大達原おおだはらでともに荒川に合流する。秩父甲州往還から落合で分岐した道が中津川に沿って西進し、上流の中津川なかつがわ村に向かう。古くは古大滝村と一村で大滝村と称していたが、江戸時代前期に二村に分村した。明暦元年(一六五五)検地帳(木村家文書)には「大滝郷之内、落合村、浜平村、三十葉村、轟村、小双里村、塩平村」などと記載され、各集落が村とよばれている。年貢割付状は、初め新大滝村として一本で出されていたが、元文二年(一七三七)に小双里組・八組・落合組・強石組の四組に村内を分け各組ごとに名主を置き、年貢割付状も各組ごとに宛てられるようになった(「風土記稿」など)

近世を通じて幕府領

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報