出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
岐阜県南東部の市。2005年2月旧中津川市が坂下(さかした),付知(つけち),福岡(ふくおか)の3町と加子母(かしも),川上(かわうえ),蛭川(ひるかわ)の3村および東に接する長野県木曾郡山口(やまぐち)村を編入して成立した。県境を越えての市町村合併の稀有な例である。人口8万0910(2010)。
中津川市北端の旧村。旧恵那(えな)郡所属。人口3411(2000)。飛驒川の支流白川上流(加子母川)に位置する山村。大部分は三国山(1611m)をはじめとする御岳山系の急峻な山地で,山間を流れる加子母川沿いに国道257号線が走り,集落が点在する。農林業のほか製材業が立地する。付知川上流一帯は国有林地帯で東濃ヒノキの優良材を産する。村域は裏木曾県立自然公園に属し,乙女渓谷付近は青少年旅行村となっている。下呂市との境の舞台峠付近にある加子母の大杉は天然記念物に指定されている。
中津川市北部の旧村。旧恵那郡所属。人口1017(2000)。木曾川の支流川上川上流域の村で,河川沿いにわずかに低地があるほかは奥三界岳(1810m)をはじめとする急峻な山地が大部分を占める。村域の大部分が山林で林産資源に富み,東濃ヒノキの産地である。村内に製材工場があり,額縁の生産も盛んである。村域の一部は裏木曾県立自然公園に属し,夕森国際マス釣場や夕森公園キャンプ場がある。
中津川市中部東寄りの旧町。旧恵那郡所属。人口5834(2000)。東は木曾川を境に長野県と接する。中央を川上川が流れ,木曾川との合流点付近の低地に集落が発達する。この町から下呂市の旧萩原町にかけて約70kmにわたって阿寺断層がのび,木曾川の河岸段丘を切断している。農林業が主産業で,米作と畜産がおもに行われる。東濃ヒノキの産地として知られ,木工業も盛ん。中央本線が通る。かつては美濃紙の製造や養蚕が盛んであった。南接する旧中津川市への通勤者も多い。明治維新期に苗木藩が徹底的な廃仏毀釈政策をとったため現在も寺はない。上野本郷に縄文草創期の椛ノ湖(はなのこ)遺跡がある。
中津川市北部の旧町。旧恵那郡所属。人口6825(2000)。木曾川の支流付知川流域の町で,町域の大部分は奥三界岳(1810m)をはじめとする山地が占める。付知川の流れは旧坂下町から続く阿寺断層に沿っており,谷に並行して走る国道257号線沿いに集落がある。付知川流域は古くから良質の東濃ヒノキの産地として知られ,製材・木工業が立地する。付知峡は裏木曾県立自然公園に属し,自然休養林がある。垂洞(たれぼら)のシダレモミは天然記念物に指定されている。
執筆者:上田 雅子
中津川市南部,木曾谷の入口にある旧市。1952年市制。人口5万4902(2000)。市域は美濃三河高原北東部に広がり,北部を木曾川が西流,長野県境に恵那山がある。中心地はかつて北東の落合とともに中山道の宿場町として発展した中津地区で,ほかは丘陵地間の谷地,盆地に散在する農山村である。主産業は,第2次世界大戦中の三菱電機名古屋製作所の疎開に始まる電気機械器具と金属製品の製造業である。ほかに戦前から紙・パルプの生産があり,戦後は紙製品工場も増加した。JR中央本線が通じ,中央自動車道中津川インターチェンジ,恵那山トンネルがあり,国道19号,257号,363号線が集中する交通の要地で,中央本線の複線電化や中央自動車道の開通などで名古屋への通勤も可能である。北部の苗木地区は近世には遠山氏1万石余の城下町であり,明治初年の廃藩置県で苗木県庁が置かれた。城跡に前田青邨(せいそん)記念館がある。木曾川には恵那峡があり,川上(かおれ)には恵那文楽が伝わる。
執筆者:高橋 百之
美濃国恵那郡の中山道宿駅。下の落合宿へ1里5町,上の大井宿へ2里半。尾張藩に付けられた木曾衆山村甚兵衛の知行地で,村高1334石。宿駅の町分と在方の中村,実戸(さねと),子野(この),上金(うわがね),北野,川上に分かれていた。宿の町並みは10町余,下町,横町,本町,新町,淀川とつづき,本町に本陣,脇本陣,問屋があった。1661年(寛文1)定人馬25人25疋と定められ,大名などの大通行のおりには,落合宿の人馬を寄せ合宿として継立てにあたった。中津川には早くから2・8の日の六斎市が開かれていた。寛政年間(1789-1801)には,穀物,塩,みそ,たまり,酒,小間物,呉服,古着,綿,紙,檜笠などが取り扱われ,苗木藩領の村々からのむしろ,紙,コウゾ,木綿などが集荷され,中津川の町分は,この地方の商業の中心となっていた。在方では,農業のほか,中村の紙すき,上金のすき櫛,川上の薪など,農間余業が行われるようになった。1801年(享和1)当時は,175戸,1227人であった。
執筆者:高牧 実
中津川西部の旧村。旧恵那郡所属。人口3852(2000)。笠置山をはじめとする標高1000m前後の山々に三方を囲まれ,中央を和田川が南流し木曾川に注ぐ。山林の過半は村有林で,明治以来計画的植林が行われている。花コウ岩の採石と加工,乳牛飼育,タバコ栽培が行われる。ヒトツバタゴ自生地(天)がある。また南北朝時代,南朝方の落武者がはじめたといわれる杵振(きねふり)踊が伝わる。
中津川市中部西寄りの旧町。旧恵那郡所属。1966年町制。人口7123(2000)。木曾川支流の付知川が町の中央を南流し,川沿いを国道257号線が走る。米作を中心に野菜,果樹の栽培,酪農が営まれる。また昭和40年代後半以降は南接する旧中津川市への通勤者が増加している。北部の山地は裏木曾県立自然公園に,南部の木曾川流域は恵那峡県立自然公園に属する。下野の女夫(めおと)松は天然記念物に指定されている。
執筆者:上田 雅子
中津川市東部の旧村。旧長野県木曾郡所属。人口2040(2000)。木曾谷の入口に位置し,木曾川沿いに耕地が開け,国道19号線が通じる。米作,畜産,養蚕が行われ,近年は酪農や施設園芸が盛んである。南部には近世中山道の宿駅であった馬籠(まごめ)があり,往時の面影を残している。島崎藤村の出生地としても知られ,藤村記念館や島崎家の菩提寺永昌寺などがあり,訪れる観光客も多い。島崎藤村宅跡は県史跡。旧中津川市,旧坂下町と結びつきが強いため,県境を越えての合併となった。
執筆者:萩原 毅
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
盛岡市の東端、
上流は愛甲郡
荒川上流部の支流で、大滝村内を流れる。山梨県・群馬県境の
恵那山を水源とし、北西流して
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
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