排仏論(読み)はいぶつろん(英語表記)pái fó lùn

改訂新版 世界大百科事典 「排仏論」の意味・わかりやすい解説

排仏論 (はいぶつろん)
pái fó lùn

中国における仏教攻撃論。仏教が伝来した当初の漢代には,排仏論はまだおこらなかった。仏教が中国固有の思想,信仰との融合につとめたからである。だが仏教が仏教としての立場を明らかにし,思想的,社会的に大きな影響力をもつにいたった六朝時代には,排仏論もやかましく叫ばれはじめ,とくに道教と仏教の論争を通じて一段とはげしさを増した。なかでも,仏教の出家主義と剃髪風習が“孝”の倫理にもとるとの批判は有力であり,そのほか,仏説の非現実性,三世輪回(さんぜりんね)説,応報説,天堂地獄説などに批判がむけられた。また仏教がそもそも夷狄(いてき)教化のための教えであって中国に行うわけにはゆかないとの議論が,南斉の顧歓の《夷夏論》によって明確となり,唐の韓愈や宋の朱熹にもうけつがれた。〈三武一宗の法難〉と総称される排仏事件では,もっぱら僧侶の税役負担免除と仏教教団の蓄財が攻撃の的となった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の排仏論の言及

【夷狄】より

…いわゆる中華思想の所産であって,夷狄は華夏の〈礼楽〉すなわち文化と道義性の欠如体にほかならず,人間と禽獣の中間の存在とさえみなされた。南朝の顧歓や唐の韓愈たちの排仏論の主たる論点は,仏教はそもそも夷狄のために設けられた教法であるから中国に行うことはできないという点に存したし,また近代西洋文明の受容を困難ならしめた思想的背景もこのような偏見にもとめられよう。華夏の〈礼楽〉の欠如体である夷狄は,したがって孟子が〈吾夏をもって夷を変ためし者を聞けども,夷によって変ためられし者を聞かざるなり〉とのべているように,華夏による一方的な教化の対象となるべきものであった。…

【湖南学派】より

…湖南省の衡山(こうざん)を中心に栄えたのでこう呼ぶ。天理と人欲,義と利,華(中国)と夷(異民族)を峻別し,排仏論をとなえ,歴史に対しては厳格な倫理批判を行った。また,心学に関しては胡五峯(宏)が察識端倪(たんげい)説をとなえている。…

※「排仏論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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