指杭村(読み)さしくいむら

日本歴史地名大系 「指杭村」の解説

指杭村
さしくいむら

[現在地名]浜坂町指杭

清富きよどめ村の北東に位置する。集落南西流する田井たい川右岸の山地谷間に形成され、この山地の北側で海(日本海)に面していた。北東の田井川上流は田井村。寛政一〇年(一七九八)の豊岡藩奉行宛の差上書(池田家文書)によると当村は古くは田井村と称し、一方で田井村は門前もんぜんといったという。両所は一村で、田井川流域の谷筋を大字田井耕地たいごうちとよび、田畑山内は残らず、海川に至るまで田井の谷、田井の浜と称してきたという。また「浜坂町誌」に引く指杭村古文書によると、古く当村は二方ふたかた庄のうちで指杭村と称していたが、元和三年(一六一七)田井村と改称、寛永四年(一六二七)指杭村に復したという。さらに享保一五年(一七三〇)にはかのう村と改めたが、延享三年(一七四六)再び指杭村の旧称に復したという。ただし享保一二年改の二方郡村高免社帳(安達家文書)では、以前は指杭村といったが、今は叶村と称しているとの記述があるので、叶村への改称時期は享保一二年以前のことと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報