折尾瀬村(読み)おりおせむら

日本歴史地名大系 「折尾瀬村」の解説

折尾瀬村
おりおせむら

[現在地名]佐世保市桑木場町くわこばちよう新替町しんがえちよう下の原町しものはるちよう塩浸町しおひたしちよう新行江町しんぎようえちよう口の尾町くちのおちよう三川内町みかわちちよう木原町きはらちよう

早岐はいき村の東に位置し、小森こもり川が流れる。中世地名所見はないものの、正平一七年(一三六二)には折宇瀬式部蔵人入道代の同次郎蔵人源藤義親、同源内源幸政が彼杵一揆に参加しており(同年九月日「彼杵一揆連判状断簡写」福田文書)、当地を拠点とする勢力であろう。新替に平戸松浦氏の井手平いでひら城が築かれ、天正年間(一五七三―九二)の合戦で討死した者を祀るために建立されたという薬王やくおう寺がある。江戸時代は平戸藩領相神浦筋郡代の管轄下で、正保国絵図に折尾瀬村とあり、高七二五石余。明暦二年(一六五六)の田方帳抜書では「早岐折尾瀬村」内に新替免・桑木場免・「石垣馬セめ免」・新行江免・「塩ひた志免」・三川内免・今福東いまふくひがし免・今福西免・下之原しものはる免・口之尾くちのお免・上吉福かみよしふく免・下吉福免・木原免・横手よこて免・心野ここんの免が記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報