折原村(読み)おりはらむら

日本歴史地名大系 「折原村」の解説

折原村
おりはらむら

[現在地名]寄居町折原

秩父郡風布ふうつぷ村の東に位置し、北は荒川を隔て榛沢はんざわ末野すえの村・寄居村。荒川に子持瀬こもちせの渡がある。丹党に属した織原丹五郎泰房(「丹党系図」諸家系図纂)名字の地とされ、地内の堀の内ほりのうちには鎌倉期と推定される館跡もある。戦国末期は鉢形はちがた城主北条氏邦の支配下にあり、天正一〇年(一五八二)二月二五日の北条氏邦印判状(写、彦久保文書)は秩父孫二郎指揮下の秩父同心衆一三九人の着到を定めたもので、そのなかに折原衆として黒瀬・保泉・長浜の三騎がみえる。同一四年三月一三日には鉢形城秩父曲輪の庭掃除分担が定められ、折原衆は三三間を担当している(「北条氏邦定書写」諸州古文書)。同二〇年三月、武川衆は徳川氏から「折原之郷」で九二五石余を宛行われた(記録御用所本古文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android