戸谷新右衛門(読み)とやしんえもん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「戸谷新右衛門」の意味・わかりやすい解説

戸谷新右衛門
とやしんえもん

生没年不詳。近世中期の義民。紀伊国(和歌山県高野山(こうやさん)寺領伊都(いと)郡清水組島野村の庄屋(しょうや)で、1721年(享保6)、高野山の年貢米収納用の桝(ます)は京桝を使用すべきであるのに、それより大きい讃岐(さぬき)桝を使用し、かつ桝に手を加えて多くを取り立て、付加税も多いと、江戸の寺社奉行(ぶぎょう)に越訴し、高野山で石子詰(いしこづめ)の惨刑を受けたという。しかし、これは佐倉宗吾(さくらそうご)(惣五郎(そうごろう))の高野山版で、多分に伝説的要素が強いという説が有力である。

[安藤精一]

『安藤精一著『和歌山県の歴史』(1970・山川出版社)』

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朝日日本歴史人物事典 「戸谷新右衛門」の解説

戸谷新右衛門

没年:享保7.6.19?(1722.7.31)
生年:生年不詳
江戸中期の紀伊国伊都郡(和歌山県)島野村の庄屋。高野山寺領では,幕府公定の京枡よりも2%増しの讃岐枡を使用して年貢の増徴をしていたので,村民困苦をみかねた新右衛門が,享保4(1719)年江戸出訴におよんだという。訴願は幕府の認めるところとなったが,新右衛門の身柄領主である高野山に預けられ,寺では牢獄につなぎ,石籠詰めに処したという。民権家小室信介が明治16(1883)年1月,その墓に詣でて,佐倉宗吾と並ぶ義人と讃える祭文をよんでいる。<参考文献>小室信介『東洋民権百家伝』

(藪田貫)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「戸谷新右衛門」の解説

戸谷新右衛門 とや-しんえもん

江戸時代中期の農民
紀伊(きい)伊都(いと)郡(和歌山県)の高野山寺領の庄屋。高野山では規定の京升より容量のおおきい讃岐(さぬき)升で年貢を徴収していたため,享保(きょうほう)5年(1720)幕府にうったえでた。要求は実現したものの,身柄は寺にあずけられ,7年6月惨殺されたというが,この事件は実証性にとぼしく創作とみられている。

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