成相寺(読み)ナリアイジ

デジタル大辞泉 「成相寺」の意味・読み・例文・類語

なりあい‐じ〔なりあひ‐〕【成相寺】

京都府宮津市にある高野山真言宗別格本山。山号は成相山西国三十三所第28番札所。開創は慶雲年間(704~708)、開山は真応と伝える。橋立観音

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精選版 日本国語大辞典 「成相寺」の意味・読み・例文・類語

なりあい‐じ なりあひ‥【成相寺】

京都府宮津市成相寺にある高野山真言宗の寺。山号は成相山(もと世野山)。橋立観音の通称がある。慶雲年間(七〇四‐七〇八)、文武天皇勅願所として、真応が創建と伝えられる。西国三十三所第二八番札所。

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日本歴史地名大系 「成相寺」の解説

成相寺
なりあいじ

[現在地名]宮津市字成相寺

府中ふちゆうの北部、成相山中腹の標高三三〇メートル前後の森林の中にある。

成相山(かつては世野山)と号し、高野山真言宗、本尊聖観音菩薩。橋立の観音ともいう。西国三十三所観音霊場の二八番札所。

寺伝によれば慶雲元年(七〇四)真応の開山、文武天皇の勅願所という。かつては現在地より上の通称仙台せんだいの地にあったが、応永七年(一四〇〇)山崩れののちに、三重みえ(現中郡大宮町)の成吉越中守の一族沙弥円菴が、同二九年までかかって現在地に移転したと伝える(成相寺蔵「古老伝」)。近世までは惣持そうじ院を本坊とし、吉祥きちじよう院・聖智しようち院・慈性じしよう院・明王みようおう院・文聖ぶんしよう院などの塔頭を有した(宮津府志)

当寺は「梁塵秘抄」に

<資料は省略されています>

とあるように平安時代から修験の霊地として知られた。また観音霊場として知られ、「今昔物語集」巻一六に「丹後国成合観音霊験語」として次のような話が載る。この寺に貧しい僧が籠って修行をしていたが、冬になって食物もなくなってしまった。なにぶん高山にあり、雪も深いので里に出ることもできない。死を覚悟して寺の観音に「只今日じきシテ、命ヲ生ク許ノ物ヲ施シ給ヘ」と念じたところ、狼に食われた猪をみつけそのもも肉を鍋で煮て食い、餓死を免れた。村人が訪れたところ仏像のももが失われていたので、僧は事の次第を告げ、「若シ此ノ事、観音ノ示シ給フ所ナラバ、本ノ如クニ」というと、仏像はもとのようになった。これによって寺を成合寺と称するようになったという。

お伽草子の「梵天国」には、主人公は久世戸くせどの文殊に、その妻の梵天国の姫が成相の観音になったという話を記す。

成相寺
なりあいじ

[現在地名]三原町八木天野馬回

成相川上流の渓畔にある。擁護山と号し、高野山真言宗。本尊は薬師如来で淡路四十九薬師の第一番札所。寺伝によれば紀伊国高野山大伝法だいでんぽう院の争乱に関係し、当地に配流された高野山の僧実弘(讃岐配流の道範に同道したと伝える)が、仁治四年(一二四三)高野山を模して建立したといわれる。だが貞応二年(一二二三)の淡路国大田文には国領笶原やはら保のうちに「成相寺一所」とあることから、同年にはすでに存在していた。

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百科事典マイペディア 「成相寺」の意味・わかりやすい解説

成相寺【なりあいじ】

京都府宮津市にある高野山真言宗の寺。本尊聖観音菩薩。704年文武(もんむ)天皇の勅願で,真応(しんおう)の開基という。《梁塵秘抄(りょうじんひしょう)》に四方の霊験所としてあげられ,平安時代から修験の霊地として,また観音霊場として知られた。西国三十三所の28番札所で橋立ての観音ともいい,天橋立(あまのはしだて)をはさんで遥かに智恩(ちおん)寺と対する。1288年(正応1年)の大田文(おおたぶみ)を基礎にした丹後(たんご)国田数帳1冊,絹本着色紅玻瑠阿弥陀像は重要文化財。
→関連項目丹後天橋立大江山国定公園宮津[市]

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改訂新版 世界大百科事典 「成相寺」の意味・わかりやすい解説

成相寺 (なりあいじ)

京都府宮津市にある高野山真言宗の寺。山号は成相山。〈橋立観音〉ともいい,西国三十三所観音霊場の28番札所である。成相山の中腹にあって,眼下に天橋立の景観を一望できる天下の名勝地である。途中の傘松公園は〈股のぞき〉で知られ,付近は丹後の国府や国分寺の跡など史跡や名所が多い。704年(慶雲1)真応上人の草創と伝え,平安時代以降,本尊聖観音の霊験が天下に聞こえ,《今昔物語集》など説話集にも語られて,観音信仰の巡礼参詣で今日まで栄えてきた。本願寺3世覚如の伝記《慕帰絵詞(ぼきえことば)》によれば,1348年(正平3・貞和4)覚如が当寺を訪れたとき,寺内に6坊があり,堂塔は美麗だったと記され,また寺蔵の室町期の参詣曼荼羅には,50宇ほどの堂舎と周辺民家や店舗,舟の出入りが描かれて,中世の繁栄のようすがよくわかる。現在の建物は鐘楼(16世紀)を除いて,本堂,鎮守堂,地蔵堂,奥の院慈眼堂,仁王門などすべて江戸時代の建築である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「成相寺」の意味・わかりやすい解説

成相寺
なりあいじ

京都府宮津市成相寺にある寺。高野山真言(こうやさんしんごん)宗の別格本山。山号は成相山。本尊は聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)。西国(さいごく)三十三所第二十八番観音札所。橋立観音(はしだてかんのん)と称される。704年(慶雲1)真応上人(しんおうしょうにん)が文武(もんむ)天皇の勅願により日本三景の一つ天橋立(あまのはしだて)を眼下に見下ろすこの地の風景を賞して開創したという。『今昔(こんじゃく)物語集』『梁塵(りょうじん)秘抄』などにも観音霊場としての当寺の霊験が説かれており、平安時代には大きな勢力を有した。鎌倉時代以後、寺は山崩れや兵火、雷火などで三度全滅し、そのつど復興された。現在の建物は天文(てんぶん)から文化(ぶんか)年間(1532~1818)にかけて再建されたもの。寺宝に兆殿司(ちょうでんす)筆の絹本着色紅玻璃(はり)阿弥陀(あみだ)像、紙本墨書丹後(たんご)国諸庄(しょう)郷保総田数帳目録(以上、国重要文化財)、鎌倉時代の鉄湯舟があり、本堂内陣には左甚五郎(じんごろう)作と伝える真向(まむき)の竜がある。

[野村全宏]


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デジタル大辞泉プラス 「成相寺」の解説

成相(なりあい)寺

京都府宮津市にある寺院。「橋立観音」ともいう。橋立真言宗(真言宗系単立)。慶雲年間(704~708)の開創と伝わる。本尊の聖観世音菩薩は「身代わり観音」「美人観音」とも称される。名人・左甚五郎の作と伝わる「真向の龍」がある。

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