恒良親王(つねながしんのう)(読み)つねながしんのう

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

恒良親王(つねながしんのう)
つねながしんのう
(1324―1338)

醍醐(ごだいご)天皇の第六皇子。「つねよし」とも読む。母は阿野廉子(あのれんし)(新待賢門院(しんたいけんもんいん))。元弘(げんこう)の変(1331)後但馬(たじま)に配流され、守護太田守延(もりのぶ)の家に幽閉された。1333年(元弘3・正慶2)守延に奉じられて挙兵千種忠顕(ちぐさただあき)の軍に合流して六波羅(ろくはら)を攻めた。翌年建武新政となって皇太子となった。翌々年冬新政が崩壊、後醍醐天皇は38年(延元3・暦応1)挙兵の根拠地を築こうとして、恒良親王尊良親王新田義貞(にったよしさだ)、洞院実世(とういんさねよ)らをつけて越前(えちぜん)に下向させた。しかし越前金ヶ崎(かねがさき)城(福井県敦賀(つるが)市)で激戦のすえ敗北、毒殺されたといわれている。

[黒田弘子]

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