応地村(読み)おうちむら

日本歴史地名大系 「応地村」の解説

応地村
おうちむら

[現在地名]山南町応地

東は佐治さじ(加古川)を挟んで草部くさべ村、北は小野おの(現氷上町)。慶長三年(一五九八)織田信包(柏原藩)領となる。正保郷帳に大内村とみえ田高一三五石余・畠高一八石余、柴山あり、水損少しあり。慶安三年(一六五〇)幕府領となり、国立史料館本元禄郷帳によると応知村は旗本水野家(享保一〇年安房北条藩、文政一〇年上総鶴牧藩)と同織田家の相給地、高一八二石余であるが(元禄郷帳)、元禄八年(一六九五)には柏原藩領となっており(柏原藩領知目録など)、両者の間に矛盾が生じている。鶴牧藩大概帳では慶安三年以降は幕府領、同書が編まれた天明四年(一七八四)の段階では、天和二年(一六八二)に水野領として拝領した高六二石余分と柏原藩領高一三〇石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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