しが‐の‐やまごえ【志賀山越】
滋賀県大津市滋賀里から京都市左京区北白川へ通じる
山道。
比叡山の麓を越える。
※
古今(905‐914)春下・一一五・詞書「
しがの山ごえに女のおほくあへりけるによみてつかはしける」
※後
拾遺(1086)春下・一三七「桜花道みえぬまで散りにけりいかがはすべきしかの山こえ〈橘成元〉」
[語誌](1)この山道は、六六八年、天智天皇創建と伝えられる
志賀の崇福寺(
志賀寺あるいは
志賀山寺とも)
参詣の道として利用された。三代集時代には、屏風絵の
画題として選ばれて、
挙例の「古今‐春下」のように詞書中にみえることが多い。
(2)季節も、春だけでなく秋・冬にもわたって詠まれたが、「後
拾遺集」ごろから和歌本文中にも現われ、「古今‐春下」の「梓弓春の
山辺をこえくれば道もさりあへず花ぞちりける〈
紀貫之〉」の影響を受けて、桜が道に散り敷く景として詠むようになり、「永久百首‐春」や「六百番歌合‐春下」で春の歌題とされた。新古今集時代には、御子左家の歌人たちに好まれ、歌語として定着していった。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報