御所町(読み)ごせまち

日本歴史地名大系 「御所町」の解説

御所町
ごせまち

[現在地名]御所市御所

葛上郡の北部平坦地、葛城川の両岸に発達した集落。現御所市のほぼ中心市街地にあたる。俗に葛城川以東の地を東御所、同川以西を西御所とよんでいる。御所の名義については、葛城川の河瀬ごせ説・五瀬説、孝昭天皇池心いけごころ宮の御所ごしよ転訛説、三室みむろ(御室、御諸)説、葛上旧国府の所在にちなむとする国府所説などがある。

文明(一四六九―八七)頃の越智郷段銭算用状(春日神社文書)楢原ならばら庄方に「御所郷 二町一段半」とあり、中世越智おち郷内楢原庄方に属したことが知られる。「多聞院日記」には、永禄一二年(一五六九)七月一八日の条に、

<資料は省略されています>

とあり、ここに御所庄における一向宗道場を破却し、今後その建立を禁止した旨を載せている。天正五年(一五七七)には、東御所に浄土宗の正栄しようえい(本尊阿弥陀如来は藤原時代)が再建されたと伝えられており(正栄寺寺伝)、一時、浄土真宗の禁止に伴って、浄土宗の寺院がしだいに寺勢を回復したものらしい。

慶長郷帳には「御所三室トモ」として現れ、御所村の村高は一四一九・一六石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報