形見村(読み)かたみむら

日本歴史地名大系 「形見村」の解説

形見村
かたみむら

[現在地名]東村形見

やしろ川の支流矢武やぶ川上流域に位置し、釜子かまのこ村から白河城下金山かねやま(現表郷村)に通じる道沿いに発達した村で、南はみや(現同上)、北は蕪内かぶうち村、東は栃本とちもと村に接する。古代から開け、岩崎いわざき古墳祝方いわいかた古墳・久保くぼ遺跡などがある。鎌倉時代末期に結城宗広の弟祐義が片見彦三郎と称して形見館に住したという(結城系図)。形見館跡は字久保にある。祐義は元弘三年(一三三三)六月九日の結城宗広請文案(伊勢結城文書)に「舎弟片見彦三郎祐義」とみえ、同年四月一七日の後醍醐天皇綸旨案(同文書)を受けた宗広とともに鎌倉攻めに参加している。

形見村
かたみむら

[現在地名]石川町形見

今出いまで川の支流で北西流する飛鳥あすか川流域の平地と丘陵地に位置し、北西の双里そうり村から御斎所ごさいしよ街道が村内を抜け、南の谷沢やざわ村に至る。天保郷帳に双里村枝郷と注記される。地内には三八基の板碑が所在し、鎌倉時代の弘安七年(一二八四)・正応四年(一二九一)・乾元二年(一三〇三)・文保二年(一三一八)・嘉暦四年(一三二九)、さらには南北朝時代の文和三年(一三五四)・康暦三年(一三八一)・康応二年(一三九〇)などの紀年銘を有するものがある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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