弥勒院(読み)みろくいん

日本歴史地名大系 「弥勒院」の解説

弥勒院
みろくいん

[現在地名]深谷市東方

唐沢からさわ川の東方、県道原郷はらごう―熊谷線(旧中山道)の北側に位置する。熊野山良光りようこう寺と号し、真言宗智山派。本尊地蔵菩薩。江戸時代の東方ひがしがた村の鎮守熊野社(現熊野大神社)別当寺。草創は不明で、中興開山祐永は元和二年(一六一六)没。慶長七年(一六〇二)かつての東方城主松平康長が下総古河へ移封された際、当寺の寺僧も移住したと伝える(風土記稿)。しかし延宝四年(一六七六)京都智積ちしやく院の運敞から当寺宥見に直末の許可が下され、正徳五年(一七一五)には智積院快存から当寺宥雄に法流許可がなされているので寺勢は保たれていた(弥勒院文書)

弥勒院
みろくいん

[現在地名]高野町高野山

現在蓮花れんげ院に名跡を残すが、古くは谷上院たにがみいん谷の壇上伽藍北にあり、明治初年に一時北隣の宝城ほうじよう院に合併されていた。学侶方上通の一院で本尊弥勒菩薩。院号は開基琳賢が弥勒菩薩を念持していたことに由来する。琳賢は一九代検校で、「高野伽藍院跡考」によれば鳥羽院祈願所として創建されたという。琳賢は久安六年(一一五〇)に没したが、建永年間(一二〇六―〇七)後鳥羽院御幸のとき廟窟を開いたところ、左眼が落ちて舎利となったと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報