平瀬与一郎(読み)ひらせよいちろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「平瀬与一郎」の意味・わかりやすい解説

平瀬与一郎
ひらせよいちろう
(1859―1925)

日本の貝類学の先達。号を介堂と称した。兵庫県淡路島福良(ふくら)に生まれる。1887年(明治20)京都に出て種禽(しゅきん)商を営んでいたが、アメリカの宣教師ゲインズMarshall GainsおよびギュリックJohn Thomas Gulick(1832―1923)に陸産貝類の採集を依頼されてから貝類に興味を抱いた。当時のアメリカの貝類学者ピルスブリーHenry Augustus Pilsbry(1862―1957)に文通指導を受け、自邸を平瀬介館と名づけ、また『日本千貝目録』(1910)を著し、『介類雑誌』(1907~1909)を発刊した。著書に『貝千種(かいちぐさ)』(1914~1922)などがあり、貝類の研究と知識普及に貢献した。さらに1913年(大正2)京都市岡崎に平瀬貝類館を開設したが、これは数年で行き詰まり、閉鎖された。彼の採集にかかる新種は700を超す。その標本帝室博物館(現、国立科学博物館)やワシントンのアメリカ国立自然史博物館に分割寄贈された。日本に残された完全な標本セットは第二次世界大戦で戦災にあったが、各地になおコレクションの一部が断片的に存在する。

[奥谷喬司]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平瀬与一郎」の解説

平瀬与一郎 ひらせ-よいちろう

1859-1925 明治-大正時代の貝類研究者。
安政6年11月11日生まれ。アメリカ人に指導をうけ,新種700以上をふくむ貝類を収集。明治40年「介類雑誌」を創刊。大正2年京都に平瀬介館を開設。閉鎖後,標本は帝室博物館などに分割保存された。大正14年5月25日死去。67歳。淡路(あわじ)(兵庫県)出身著作に「貝千種(ちぐさ)」など。

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