日本歴史地名大系 「平尾城跡」の解説
平尾城跡
ひらおじようあと
[現在地名]美原町平尾
平尾集落から
永徳二年(一三八二)三月の出雲国須波部新左衛門入道軍忠状(南山巡狩録追加)に「河内国平尾御合戦」、同三年七月日付通法寺別当実尊言上状(「通法寺興廃記」増本家蔵)に「爰楠正儀討負去年平尾合戦之」とみえ、このとき山名氏清に敗れた楠木正儀が籠った「旧居之要害」(前掲言上状)が平尾城と考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
平尾集落から
永徳二年(一三八二)三月の出雲国須波部新左衛門入道軍忠状(南山巡狩録追加)に「河内国平尾御合戦」、同三年七月日付通法寺別当実尊言上状(「通法寺興廃記」増本家蔵)に「爰楠正儀討負去年平尾合戦之」とみえ、このとき山名氏清に敗れた楠木正儀が籠った「旧居之要害」(前掲言上状)が平尾城と考えられる。
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