布沢村(読み)ふざわむら

日本歴史地名大系 「布沢村」の解説

布沢村
ふざわむら

[現在地名]只見町布沢

滝原たきばら村の北東に位置し、布沢川上流の谷間の狭い平地と斜面集落耕地がある。「伊達天正日記」天正一七年(一五八九)八月二日条などに「ふさハ」「不沢」とみえ、伊達政宗の軍勢伊北いほう郷の地頭山内一族との合戦が当地で行われている。同一八年の伊達政宗充行状写(伊達家文書)によると、簗取左馬允は「布沢之内、ひさ沢」の替地として「上伊北之内やうとめ」を与えられている。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に「布沢 千百石六斗六升」とあり、うち九〇〇石が布勝左の知行、二〇〇石六斗六升が蔵入。

布沢村
ぬのざわむら

[現在地名]清水市布沢

村の南、興津おきつ川支流布沢川の中流域に位置し、南は吉原よしわら村。天正一〇年(一五八二)三月六日の北条家朱印状(渡井文書)に「布沢之郷」とみえ、郷内の小屋(砦)に避難していた人々を赦免し、その保護を源五郎に命じている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報