川柳将軍塚古墳(読み)せんりゆうしようぐんづかこふん

日本歴史地名大系 「川柳将軍塚古墳」の解説

川柳将軍塚古墳
せんりゆうしようぐんづかこふん

[現在地名]長野市篠ノ井石川 湯の入

布制ふせい山頂の先端部に築かれている全長九〇メートルを超える前方後円墳で、後円部は山麓下南東方に展開する水田地帯にのぞむ。

墳形は前方部が低く狭長で古式をとどめ、周濠も一部うかがわれる。寛政年間(一七八九―一八〇一)の発掘にかかるもので、内部主体として割石小口積みの竪穴式石室が後円部と前方部に設けられている。副葬品概略については、「信濃奇勝録」に記載がある。昭和初年の調査で、奇勝録記載遺物の検討がなされ、現存する異体字日月銘内行花文鏡を含めて二七面以上の鏡、古墳時代前期の副葬品である筒形銅器・玉杖頭・車輪石・銅鏃・勾玉・細形管玉の存在から、四世紀後半にかかる善光寺平最古のグループの一基として位置づけられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「川柳将軍塚古墳」の意味・わかりやすい解説

川柳将軍塚古墳
せんりゅうしょうぐんづかこふん

将軍塚古墳

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世界大百科事典(旧版)内の川柳将軍塚古墳の言及

【将軍塚古墳】より

…命名の由来は明確でないが,大阪府茨木市安威(あい)の将軍塚古墳を藤原鎌足の墳墓とし,京都市東山山頂の将軍塚古墳を征夷大将軍坂上田村麻呂の墳墓とする俗伝とは,おそらく発想を異にしたものであろう。
[川柳将軍塚古墳]
 長野県長野市篠ノ井石川(旧,川柳(せんりゆう)村)にある4世紀末の前方後円墳。善光寺平の西辺を画する断層崖の上部に位置し,北東面する墳丘の全長93m,後円部径45m,前方部幅26m,葺石(ふきいし)および円筒埴輪を残す。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」