岩氷村(読み)いわこおりむら

日本歴史地名大系 「岩氷村」の解説

岩氷村
いわこおりむら

[現在地名]倉淵村岩氷

碓氷うすい郡に属し、東はからす川をもって群馬郡権田ごんだ村と同郡三野倉さんのくら村に接し、南は相間あいま川を境に水沼みずぬま村、西と北は川浦かわうら村と隣接する。烏川沿いに大戸おおど(信州道)が通る。「曾我物語(妙本寺本)巻五に、源頼朝が浅間の巻狩の帰路通った地として「岩氷」がみえる。永禄六年(一五六三)五月一〇日の安保晴泰・泰通宛北条氏康・氏政連署知行宛行状(安保文書)に「岩氷郷」とみえる。同一〇年四月一六日付武田信玄書状写(「新編会津風土記」所収)によれば、「岩氷」は浦野宮内左衛門・能化丸に与えられており、天正七年(一五七九)にも同氏領(同年三月一八日「武田勝頼定書写」同書所収)

初め川浦村に含まれ、寛永二〇年(一六四三)高一六九石余が分れて岩氷村となった(「永代記録帳」塚越文書)。しかし寛文郷帳には記載されていない。元禄郷帳に村名がみえ高一七〇石余、うち一六八石余が幕府領、一石余が三野倉村全透ぜんとう院領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報